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時間を守ることの大切さ

時間を守ることの大切さ〜2013年秋の課題作文に寄せて〜

久々のコラムとなります。当塾では、毎年春と秋の2回、小学4年生から中学3年生までの全ての生徒を対象に、同じテーマで取り組んでもらう「課題作文コンクール」というイベントがあります。テストの点数ではなかなか測れない、子どものキラリと光る部分を探して認めることで伸ばしていきたいという想いから始まった企画です。

今年のテーマは「時間を守ることの大切さについて」でした。150字程度の課題文を読んで、自分自身の体験を踏まえて400字以上800字以内で論述するというものです。 今に始まったことではありませんが、熱心に部活動に取り組んでいる中学生の生活はとても忙しいものです。当塾の中学部は通常授業時には19:00からスタートするのですが、5分から10分ほど遅れてくる生徒も珍しくありません。

「時間厳守の精神を伝えたい」という想いと「そうは言っても、最終下校時刻が18:30ではねぇ…」という配慮のせめぎ合いで、現実的には、できるだけ頑張って少しでも早めに来ようという気持ちが感じられる生徒には「よく頑張ってきたね…」という声掛けを行っているのが実情です。塾の始業時刻をもう少し遅めに設定できないかも考えましたが、それに伴い、帰宅時刻が一層遅くなってしまうことを危惧すると、それもできずにジレンマに陥っているのです。

そこで、普段はなかなか伝えきれない「時間を守ることの大切さについて」を生徒に課しているのと同じ条件で私も書いて公開しようと思いつきました。 「時間厳守」という概念は世界標準ではありません。「時間厳守」が標準ではない環境に行けば「郷に入れば郷に従え」の精神でやればいいのです。しかし、私たちが暮らしているこの環境では「時間厳守」が一つの常識となっていると思います。「時間にルーズである」というレッテルを貼られて、自分自身の評価を下げることがないようにして欲しいと心の底から思っています。

以下に、私自身が書いた課題作文を掲載します。

待ち合わせをする。でも、相手が来ない。そんな時には不安感に襲われる。私が時間を勘違いしているのか、それとも相手が忘れてしまっているのかと。意味もなく何度も腕時計に目をやる。暫くして相手が普段通りの様子で現れると、ほっとすると同時に「なに待たせているんだよ!」と心の中で呟いてしまう。いや、口に出すことだってある。そして、大した理由がなければ「こいつ、だらしないな…」という烙印をこっそり押す。

人は誰しも他人との繋がりの中で生きている。身勝手な時間の使い方をして他人に迷惑をかけたりすれば、筆者の文章全体のタイトルでもある「(感じ)のいい人、悪い人」の「感じの悪い人」になってしまう。だから、私は思う。時間を大切にするべきだと。

一方で、色々と考えるうちに何十年かの時を越えて一つの記憶が蘇ってきた。「獅子の時代」というNHK大河ドラマのインタビュー記事の一部である。ロケ地の一つであるパリのリヨン駅で、出演者を乗せた列車が何の案内もなく到着予定時刻から10分以上遅れた。当然、NHKのスタッフは心配して大騒ぎをしていたわけだが、列車が到着した際に駅員は「正確(時刻表通り)だな…」と呟いたらしい。そのアバウトさにスタッフが衝撃を受けるというくだりだ。この話からすると、私たちは時間を大切にしているというより、時間を守ることを大切にしている、そういう価値観を持っているだけなのかもしれない。そして、それは世界標準とは違う。そんな思いにも駆られる。

時間は自他で共有されている。それは確かだ。だから、自分自身は今後もパンクチュアルであり続けたい。一方で、他人の時間の捉え方に対してはもっと寛容になろう。そんな殊勝なことを考えながらも「なんで時間を守れないんだ!」と生徒を叱っている未来の自分が思い浮かんでしまう。だが、それは間違ってはいるまい、時間を守ることを大切にする環境で私たちは暮らしているのだから。

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